私たちは欲で目がくらむ生き物。だったらどうする?

私が雑誌編集者として働いていた頃、企画の売り込みを受けることも多々ありました。

よく覚えているのは、地方の中小企業の男性。自社製品を雑誌で取り上げてほしいと、何度も何度も電話がかかってきたからです。
最初の電話で、私のほうから「雑誌の趣旨とそちらの商品とは合わないため、掲載は無理ですね」とはっきり伝えています。
それでも彼は電話をかけてくるのですが、話す内容はいつも一緒。

私には仕事がたまっているし、さすがにウンザリしていました。
しかし、彼は一方的に電話でしゃべり続け「なんとか掲載できないんですか」と繰り返すだけ。
雑誌の趣旨や私の立場などへの理解が一切ないのです。

実はこのような人は珍しくありません。
世の中では「熱意があれば、きっと伝わる」「いい物はきっと理解される」「あきらめてはいけない」「自信を持ち続けよう」などと喧伝されていますが、現実は違います。これでは一種のストーカー。相手をウンザリさせて、物事を悪い方向へ進めることのほうが多いのではないでしょうか。

つくづく思うのが、欲が絡むと人間は判断力が鈍るということ。
「商品を売って儲けたい」「コネクションを増やしたい」「もっと有名になりたい」「権力を手に入れたい」といった欲によって、情報を自分の都合よく捻じ曲げて取り込んでしまうのです。周囲の状況を冷静に判断できなくなり、行動にも反映されます。

結果として仕事がうまくいかないだけでなく、暮らしにも悪影響を与えます。「あの人のせいでちょっと困っているんだけど……」「こちらの言うことに、全然耳を傾けない」と周囲から敬遠される可能性が高くなるからです。

生業が自分が暮らす場所で働くことだとしたら、信用が第一。

もちろん、お金を稼がなければ、暮らしは成り立ちません。
しかし生業では、1つの仕事で生活費をすべてまかなうという考え方はしません。
1つの仕事の儲けを大きくしようとしたら、欲に目がくらんでしまう危険性が出てきます。
ですから、仕事Aで月7万、仕事Bで月2万、仕事Cで月3万という具合に積み重ねて、生活費を稼ぐわけです。

もう一つ、生業を企画立案することと、実際にお金を稼ぐこととを、最初はキッパリと分けて考えることも大切。
「どうしても稼がねば」という欲が強くなればなるほど、正常な判断ができなくなるからです。

これは人間の脳の働きだけでなく、コミュニティや組織でも同じ。
第一段階では純粋にニーズに合わせた企画立案を行ってから、第二段階でどうやって稼げる企画にするのかを考えたり、第一段階と第二段階の部門を分けたりするわけです。

ですから「市川で暮らしと生業をつくるLab(クラナリラボ)」では私たちで新しい仕事場を創出するのですが、実際にお金を稼ぐ取り組みを行いません。
例えば「クラナリラボとしてなんらかの仕事を取ってきて、報酬を参加者に分ける」、「クラナリラボとして参加者に仕事を融通する」ということはないわけです。


クラナリラボは、いわば勉強会。
仕事の成功例・失敗例から学んだり、地元のニーズをつかんだりして、生業を企画立案し、情報発信・提供する役割に限定します。
こうすることで、クラナリラボとして正常な判断ができるようになるのです。

約2500年前に生まれた仏教では、煩悩が非常に厄介なものとされています。
煩悩、すなわちお金への欲望や権力への誘惑をどう扱うか。これは生業だけでなく私たちが生きていくうえでのテーマかもしれませんね。